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最高レベルの瞑想者の驚くべき脳波 ; ダニエル・ゴールマン

脳神経科学者のリチャード・デイヴィッドソン ウィスコンシン大学教授が、ネパールやインドなどのオリンピックレベルの瞑想者を対象に、脳のスキャナーによる最先端の検査を行ったところ、結果は驚くべきものでした。彼らの脳波は非常に異なっていることが解りました。 最も顕著な発見は、ガンマ波との関係でしょう。私たちは、長期間取り組んでいる問題を解決すると、ほんの短い瞬間ガンマ波を取得します。ガンマ波は脳波スペクトルの中で最も強い波です。私たちがリンゴをかじろうとしたリ、リンゴをかじることを想像したりすると、味、音、匂い、光景が一気によみがえり、その一瞬ガンマ波が出ます。しかしそれは、通常の脳波では非常に短い瞬間です。 驚くべきことに、オリンピックレベルの瞑想者(生涯で62,000時間以上の瞑想をした人々)の脳波は、彼らが何をしているかに関わらず、常に非常に強いガンマ波を示しています。それは、瞑想中だけではなく、毎日の心の状態です。私たちは実際にそれが経験的に何を意味するのかは分かりませんし、科学はかつてそれを見たことがありません。 また、これらのオリンピックレベルの瞑想者が、慈悲の瞑想を行うと、数秒でガンマ波のレベルが700〜800%ジャンプしました。これまで科学では見られないことです。最高レベルの瞑想者に見られる特別な意識状態は、何世紀も前の古典的瞑想経典に記載されているようなものであると仮定しなければなりません。時には解放、悟り、目覚めと呼ばれることがありますが、それが実際には何であるかかを捉える言葉はないと思われます。このオリンピックレベルのある瞑想者は、それは非常に広々としており、広く開かれていて、何が起こっても準備ができているといいます。私たちも、それが特筆すべきものであることは理解できます。 https://www.youtube.com/watch?v=10J6crRacZg&t=1s
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ミンギュル・リンポチェ来日記念講演・ワークショップ in 東京

ミンギュル・リンポチェ来日記念講演・ワークショップ in 東京

感情に関連する3つの方法 2;変容 March 2018

感情を扱う2番⽬の⽅法は、「変容」と呼ばれます。感情を「変容」させます。 感情を変容させるその⽅法は? 例えば、憎しみが⽣じたら、パニックや嫉妬、ストレスが ⽣じたら、それらを瞑想のサポートとして利⽤するのです。 たとえば、瞑想するとき、呼吸に気づいていますよね。息を吸って、息を吐いて、呼吸が 瞑想のサポートになっています。ここでは呼吸の代わりに、憎しみを使うことができます。 憎しみを感じている時、ここ(ミンギュル・リンポチェは胸と腹部を指します)に締め付け られる感覚があります。それらの感覚を感じてください。その感覚を⾒つめるのです。イ メージや声やさまざまな感覚があります。憎しみが断⽚になり、特定できなくなります。 ただ憎しみを受け⼊れると、憎しみを瞑想に変容させることができます。これが変容の⽅ 法の⼀つです。 変容の⼆つ⽬の⽅法は、それを愛と思いやりに変えることです。 では、憎いという気持ち が⽣じたとしましょう。「OK、私は憎しみを感じている。憎しみを感じている⼈は誰も が幸せじゃない」と、共感と同情を感じるでしょう。 そして、〜受け取ることと与えるこ と(トンレン)」瞑想〜をします。 ⽣きとし⽣けるものの憎しみを⾃分の憎しみの中に取 り込んで、「私の憎しみがすべての⽣き物の憎しみの代表になりますように。なんて素晴 らしい!」。そして、憎しみが愛と慈しみに変容します。そんな感じで練習します。 憎しみを利⽤した⽅法は、パニックにも応⽤することができます。私は幼少の頃に使いま した。怒り、嫉妬、ストレス、抑うつ、低い⾃尊⼼(⾃⼰肯定感)、⼼配事、⾝体的な病 気やその他何でも、あらゆる問題を変容することができるのです。 幸せを感じたり、善い⾏いをした後は、これらのことすべてを与えることができます。 他者のためにあなたのすべての徳を送って、他者のネガティヴな感情を⾃分のネガティヴな 感情の中に引き受けること。これが「受け取ることと与えること(トンレン)」の瞑想です。 このようにして感情をアウェアネスに変容できます。また、感情を慈しみとあわれみ (慈悲)にも変容できるのです。

瞑想ガイド;身体・空間・気づきの瞑想

瞑想のやり方を共有できて,嬉しく思います。 とてもシンプルです。 背中をまっすぐに伸ばします。 ただまっすぐに、完璧でなくても良いです 。 完璧に座らなくてはと 思わないで 、背中を伸ばすだけ 次に目を閉じてください。 眠っている時のように 目を閉じます。 硬く力を入れすぎたり 意図的にはしません。 次に身体の筋肉を リラックスさせます。 頭の筋肉をリラックス。 額・顔・耳・頬・ 喉・上半身・腕・手の平・下半身 そして足 完全にリラックスします。 ただ、背中はまっすぐのまま、首を少しだけ前に傾けます。 頭の重みが首に乗って、落ち着いているように、無理なくくつろげます 体の各部がその下の部分に支えられています。 こんな風に、くつろいでいるよう感じると同時に、何かしっかりした感じがあります。 そのバランスを見出します。 体全体はくつろいでいて、体の各部分が上下に繋がって、それと同時に、自分に内なる強さを感じます。 背中はまっすぐ 重さを少し感じることも あるでしょう。 何らかの感覚を感じることもあるでしょう。 でも、ありのままにしておきましょう。 体の中に何を感じようとも、それに気づいて、ありのままにしておく。 私が子供のころ、父がよく言っていました。 「身体を座蒲に休めて、心を 身体に休める」 そうすると心と身体が 一つになります。 心が身体の中に入っていきます。 身体を意識して、身体の中の感覚に注意を向けます。 良い気持ち、喜び、快の感覚(至福感)または不快感、身体の凝り、痛み、 ニュートラルな感覚、ヒリヒリした感じ、あるいは、何も感じない。 どんな感覚にも、ただ気づいて、ありのままにしておきましょう。 数秒やってみてください。 気づいています。 くつろいでいます。 次は、気づきを広げていきましょう。 身体の外へ。 もしかしたら、周囲に何か音が聞こえるかも または、匂い、肌に感じる感覚。 部屋の温度が少し暑いとか寒いとか、 騒音、人の話し声、車・電車・飛行機が動いている音や、お隣からの騒音。 何でも気づいているだけです。 単に知るだけです。音があると認識するのです 。 すると気づきがより開かれて、広大になります。 そこに留まって、どんな現象にも気づいている。 ほんのわ...

感情に関連する3つの方法 1;  放棄  February 2018

通常、チベットの仏教瞑想の伝統では、感情を扱う3つの⽅法があります。 私たちはこれらを「放棄」、「変容」、そして「感情の本質を⾒る」と呼びます。 この 3 つです。 最初は、もっとも基本的な「放棄」です。 私たちが感情を感じるとき、私たちがしなけれ ばならないことは、感情によってコントロールされないようにすることです。 アウェアネスを持って、気づき、感情を捉えます。 そして感情を⼿放します。 このやり⽅のもっとも⼤切なことは、感情を捨てる努⼒、感情から離れる努⼒をすることです。 論理的に考えてみましょう: 感情に飲み込まれてしまったらどんな結果になるのか? 問題は何か? 感情から⾃由になったら、どんなメリットがあるのか? 怒りや憎しみの例を考えてみましょう。 憎しみを抱いた結果、どうなるでしょうか? ⾃分は幸せでなく、周りの⼈たちも不幸せにします。 憎しみを抱いたとき、⾃分の解釈の 90%以上は、現実や事実ではないのです。 ですから理論的に考えて、⾃分⾃⾝に気づいているように努⼒するのです。 怒りがこみ上げてきたら、解毒薬を使って対処してみましょう。慈悲の⼼、あるいは空性を使って、 その感情を捨てる努⼒をすることです。怒りを捨てるために、⾃分⾃⾝に⾔い聞かせるのです。 「怒らない、怒らない」。 それが感情を放棄する基本的な⽅法です。

二種類の気づき(通常の気づきと瞑想的な気づき)March 2012

ここで言う気づきは 二種類あります。 一つ目は通常の気づき 二つ目は瞑想的な気づき 通常の気づきとは何でしょうか。 誰にでもあるものです。 例えば 「注意して!危ない!」 「も〜 わかってるよ! イライラするなぁ」 「ええ!私 幸せです! 私 幸せじゃない!」 「あそこに何か見えるなぁ」 「ああ 素敵な花 花が大好き!」 「アレルギー持っているから 花は嫌い」 「ええと 良い花か 良くない花かわからないな」 これら全ては 通常の気づきを表します。 誰もが持っているものです。 しかし、ここで重要な点は、気づきを気づきとして認識していないことです。 だから 通常の気づきは、すっかり外側に向いています。 皆さんの気づきは、外界の現象を追いかけます。 「外の現象」とは、形・音・香り・味 -身体的な感覚-思考と感情のこと。 常にこれらの現象を追います。 そこに気づきがあると、認識していない状態です。 例えば、音を聞く時に、ちょっとした例ですが、皆さんが音に耳をかたむける時、聞こえること、経験することは、音に限られます。 音を聞いている気づきを、認識していません。 つまり、音だけ聞いています。 しかし、気づきを認識し、瞑想を学びに、ここへ来ているとしたら、音に耳をかたむける時、音を聞いていることを、知っています。 そこには気づきが存在していると認識します。 そして、この場合、皆さんはある種の自由を得ているのです。 というのは、皆さんの心は、形・音・香り・味・感覚 思考・感情というような、外界の現象に依存していないからです。 但し、これらの対象と共に、気づきを認識できないなら、皆さんの心は常に観察することになります。 観察者が観察して、さまざまな状況や現象を追い求めることになります。 そして自分が観えなくなってしまいます。 中心(センター)がないことを意味します。 中心となる核がないと、例えば、皆さんの心は風に吹かれる旗のようです。 風がこちらに吹けば、旗もこちらにはためき、風があちらに吹けば、旗もあちらにはためき、常にあちこちに動いている状態です。 これでは自由がありません。 何と言いますか、旗は風の力のせいで、いつも揺らいでいます。 旗は、旗自体では、コントロールできません。 「このように留まりたい」と 思...

瞑想の真髄 March 2016

こんにちは! 瞑想とは? これが今日のテーマです。 多くの人がいろいろ考えて、 私に質問します。 瞑想とは何か。瞑想している状態とは何か。 また、ある人々が言います。 「いつも、瞑想しています。 歩いている時も、歌っている時も、 料理している時も。 運動している時も瞑想しています。」 一方、こう言う人もいます。「瞑想したいのに、できないんです。思考や感情が多く浮かぶので。」 このようなことを聞きます。 両極端ですね。 それでは、真の瞑想は何でしょうか。 それは、気づきです。 気づきの存在。 ですから、「瞑想の真髄は、気づきを 認識することです。」 心が平安で落ち着いているか、リラックスしているかどうかは 全く問題ではありません。 心が落ち着いていなくても、リラックスしていなくても、 気づきを認識しているのなら、 気づきが存在するなら、 皆さんは瞑想をしているのです。 通常、こう呼んでいます。「瞑想によって起こる体験」と 「瞑想そのもの」。 瞑想体験は、 安らぎ、喜び、幸福、至福感、 明晰性、概念を超越した 心の状態などです。 これらは瞑想をすることに よって生まれる経験で、 瞑想ではありません。 瞑想の副産物として 現れるものです。 では、真の瞑想とは何か?気づき。 気づくこと。 もし、気づきがあるのなら、 思考があっても、思考が なくても構いません。 いくら思考が湧いてきても それに気づいているのなら 皆さんは瞑想しています。 次のような喩えがあります。 「川を眺められるというのは 川の外に居ることを意味する。」 川に落ちて流されたら、 川を眺められませんね。 だから、川を眺められるのなら、 川の外にいることを意味します。 同時に、川の流れを止める 必要はありません。 川を塞き止める必要もない。 同様に、私たちの心の中にも、思考と感情が流れています。川の流れのように。 浮かんでは消え、 浮かんでは消える。 だから、思考と感情を観ているなら、 それが、気づきです。 したがって、その気づきが、 瞑想の真髄なのです。 もし、多くの思考と感情が心に 湧いてこなかったら、 心が静かで落ち着いていて、 静かで落ち着いていると 観ているなら、それは瞑想です。 しかし、心がリラックスしているのに それに気づ...